面積よりも遥かに大きな街に来てしまったと感じた大都市「東京」
こんにちは、野田村悠加です。
いろんなルーツを養ってきた学生時代でしたが、社会人になっていよいよ故郷の滋賀を飛び出します。
なんとしても滋賀からは出る。
それだけを決めて就活をしていました。
結果、名古屋本社の会社に入って、研修後の配属先が東京。
「名古屋と東京、どっちがいい?」
一応尋ねられました。
僕は「どっちでもいいです」と返答しました。
そうしたら東京になりました。
これが、今思うと本当に幸運なことだったのです。
上京は田舎にとったら結構大々的なこと
親族は全員滋賀にいたので、そもそも県を出る人が僕が初でした。
しかも東京。上京ですよ。
そりゃもう、「あの家の長男の子は東京で働いている」ってそれだけで箔が付くような。
田舎はそんな感じです。
小さい頃の旅行ぐらいで、実際初めてのようかものでした。
品川駅に降り立ったときの驚きは今でも覚えてます。
琵琶湖花火大会ぐらいしか、滋賀ではこんなにたくさんの人の姿を見ることはないのです。
滋賀の人口の、約10倍。
その人数が、滋賀の面積の6分の1である琵琶湖より小さな東京23区に詰まっている。
どこに行っても、人は多いし建物は高いし、綺麗だし広いし。
電車の時刻表がいらないのは衝撃的でした。
どうやら、面積以上に広い土地へ来てしまったようでした。
※最初はこんな景色の見える近くに住んでいました。
これほどの人が集まれば、そりゃ文化は形成されるよなと
東京で一番面白かったのは、駅ごとに文化が形成されているところでした。
山手線は新橋が職場に近かったのですが、そこから有楽町、東京、神田、秋葉原、御徒町、上野……。
渋谷側も、恵比寿、目黒、五反田、大崎、新宿方面だと原宿、代々木、新宿、新大久保、高田馬場……。
一駅ごとに、こんなにもカラフルで、まるで別の県かのような違いがあるのは面白いなと感じていました。
滋賀はというと、草津と南草津がちょっと大きいぐらいで、あとはだいたい平和堂と国道が近くにある感じで、文化が違うなと感じるほどの違いはありません。
ただ、休みの日にあちこち一人で出かけていると、どこから湧いて出てるんだという人の波を見て勝手に腑に落ちます。
これだけの人が一極集中で集まれば、そりゃ文化の一つぐらい形成されそうだと。
こんなにも多種多様な人が驚くほどたくさんいて、山手線どころじゃない幅広い文化が、それぞれの土地に根付いているんだろうなということがわかりました。
これは東京が世界からも一目置かれている都市なのがよくわかりました。
名古屋とも、大阪とも全然違います。
優劣の問題ではなく、単なる人口の差です。
大阪の延長みたいな感じなのかなと滋賀県民の視点から思っていましたが、本当に全く違います。
東京があまりにも圧倒的すぎるのです。
これほどのダイバーシティを受け入れられる街は、日本ではおそらく東京以外にはないでしょう。
そこで初めて、若いうちに東京に来られてよかったな、と感じ始めるようになってきました。
滋賀から出てきてよかったこと
この東京という街を20代前半から体感できたことは非常に貴重な機会だったなと思います。
こんなにも広大な東京という街を体感して、いろんな景色を見て、街並みを感じ、文化や技術に触れ、そしてたくさんの人と出逢いました。
偶然の出会いから、久々の出会いまで、形は違えど様々な人との出会いを経験してきました。
上京して一番よかったのは「人」なのかもしれません。
東京はいろんな人がいるから気をつけてね。
という上京時の常套句を親からいただき、やってきました。
確かにいろんな人がいると思います。
ただ僕は、非常に恵まれていたのか、今までの知り合いも、新しくできたつながりも、とてもかけがえがなく大切な人たちばかりです。
初めましてでも、別にその場で取って食われるわけじゃないんだから、と何度か経験しているうちにそういう気持ちで臨めるようになってきました。
いろんな仕事の話が聞けることが面白かったです。
いろんな過去を持っている人たちと話すことが楽しかったです。
それは会社の仕事とか、引きこもってゲームやアニメとか、それまでの僕の生活では起こり得なかったイベントでした。
そして、新しい生き方を学びました。
価値観や考え方がこんなにも違う世界があるんだと痛感し、望み、飛び込み、荒波に揉まれながらも変化していく、そんなきっかけをいただきました。
きっかけについてはまた追々。
まるで小説のような人間ドラマが広がっています。
さて、そうして僕は東京という街に染まっていきます。
これからもまだまだ、世界の広大さに驚き続けるでしょう。
だからこそ、まだ今のところは、僕はこの街でたくさんチャレンジし続けることにしています。
僕という人間がダイバーシティのほんの一部となって、新たな世界を広げていきます。