カレンダーの色をなくすことは、仕事の捉え方を変えること
こんにちは、野田村悠加です。
どんな未来にしたいかということを、このブログの最初の記事から書き続けてきました。
さて、僕のビジョンの一つに「カレンダーの色をなくすこと」という何を言っているのかよくわからないような生き方があります。
結構好きな表現で、よく使っているのですが。
一体そのビジョンはどういう意味で、そして何をもって成し遂げられるのでしょう。
カレンダーの色は黒、青、赤
平日は黒で、土曜が青、日曜祝日が赤、とカレンダーの数字に色が塗られています。
それは全国共通だと思います。
黄色とか緑とか、まだ見たことありません。
平日は仕事をして、あるいは学校に行って、土曜日曜、祝日は休み。
そういった生き方を小学一年生からしているものですから、高卒の11年後、または大卒の15年後に社会人となったとしても、その生活に違和感を何一つ覚えないのです。
元々十数年も同じリズムで生活しているのですから、身についちゃっているんでしょうね。
シフト制で働く専門職やサービス業の人は本当に大尊敬です。
さて、僕の成し遂げたい生き方の一つはカレンダーの色をなくすこと。
黒とか、青とか、赤とか、関係ない生き方をしたい。
元々、暦も曜日も人間が決めたこと。
本来あるはずのない曜日という時間間隔に、金曜だから嬉しいとか、月曜だから憂鬱とか、土日は一瞬で過ぎたなとか、そういった心が左右される生活から脱したい。
と思って、努力の方向性を変えてきたのはあります。
なぜそういった曜日に左右されるのか、僕の考える理由は一つ、仕事の存在だと思っています。
仕事があるから、月曜から5日間頑張るぞと思うのです。
別に5日間じゃなくて土日もずっと頑張ったらいいのです。
別に3日経ったら休んでもいいじゃないですか。
とか、そんな自由奔放なことを考えていました。
誰が決めたんだろう。
12時から13時までが昼休憩だと、誰が決めたんだろう。
なぜ、5日働いて2日休みという生活が「当たり前」だと認識されているのだろう。
そもそもなぜ、仕事に対しての意識だけ違うんだろう。
仕事も趣味も、普段の生活も、遊びも、意味のあることもないことも、全部頑張ったり頑張らなかったりすればいいのに。
「ワークアズライフ」。
「ライフワークバランス」の時代はもう終わったいると思っています。
仕事とそれ以外の境界線を完全になくすことができれば、曜日に左右されることもなくなるんじゃないか。
すべてが仕事で、すべてが遊びで、すべて楽しんで、学んで、一生懸命努力して。
その結果、自分の生活レベルも上がって。
そんな生き方ができたら、きっと幸せなんだろうなと思います。
仕事の捉え方を変えること
結局カレンダーの色を変えるには、シフト制の仕事に転職すればいいわけではなく、そもそもの捉え方や価値観を変えることが根本解決だと悟りました。
仕事をすることが自分の生活のすべてとつながれば、それはもはや仕事なのか趣味なのか、そんな区切りすら意味を成さなくなる。
まさにワークアズライフの生き方を体現できるのです。
僕がたくさんの方から学び、行動に移してきた結果、現時点で考えていることは「すべての時間が投資になる」という生き方です。
パラレルワークといっていろいろな仕事を手掛ける一方で、全部が今この瞬間の収入につながるわけではないですが、新しい挑戦の度に新たな価値観や考え方が刷り込まれていく。
そして、それが将来の収入の増加や、仲間を募るときの幅、自分という人間の拡張という未来につながる。
仕事を会社のためじゃなく、純粋に自分自身のためにやることができる。
そういったことに巡り会えたことは、僕の人生でとても幸運なことだったと思います。
今はまだ、現象だけ見ると雇われの仕事をしていて、5日間働いて2日間会社の仕事は休み。
でもその2日間で、未来の自分に対して動き出している。
起こっている事象だけだとまだ何も変わっていないのですが、着実に、こうしたいと思える未来には近づいている。
何かをやれば捉え方が変わるわけではないのです。
「何を』から、もっと自分の深淵の、「なぜ」のフェーズへ。
なぜそれをやっているのかが明確だったら、僕は仕事の捉え方を変えられるチャンスを手にしていると思っています。
土曜とか日曜とか関係なく、思いっきり仕事をして、思いっきり遊んで、思いっきり謳歌したい。
月曜も金曜も、別にいつだっていい。
2021年や2022年という暦も、あまり気にならなくなってきました。
いつまでに何を成し遂げるのか。
この年のこの日までにどういう人間になっているのか。
日付は単なる期日です。
今日が明日になるように、月は変わり、年は変わります。
特別な日がないというより、毎日がその日だけの特別な日です。
大事に、大切に。
感謝と共に。
自由と責任の日々を紡いでいきます。