ここが人生のブルペン

ブルペンとは、野球で投手が投球練習をする場所のこと。人生にも大成するまでの準備期間のような時期があって、まるでブルペンのような場があります。まさに今、僕と同じように何かに挑戦しようとしたり、もがいたり、そんな人たちの小さな心の力づけになる。そんなブログ。

『野田村悠加』という生き方は、まるで一つの物語のような

はじめまして。

野田村悠加と申します。

 

​新たに発信できる媒体を増やそうと、この度ブログを開設する運びとなりました。

 

ここ一年ほど、何かと文章を綴る機会を増やしてきましたが、媒体ごとにいろいろな人たちと関わり合えることは本当に面白いなと感じてきました。

 

そうしてこれから出会っていく、どこかの誰かに届けられるものを、より増やしたいなと。

 

そんなことを思っております。

 

物書きとして。
ビジネスパーソンとして。

 

挑戦者として。

 

そんな僕の半生を、日々の想いを、そしてこれからの未来を、綴っていきます。

 

生い立ちとかルーツとか

生まれは滋賀県栗東市というところです。

www.city.ritto.lg.jp

 

当時はまだ栗太郡栗東町でしたが、9歳の頃に栗東市に変更になりました。

地味に、21世紀初の「郡」消滅だったそうです。

引っ越してもいないのに住所が変わるという、子どもながらに印象的な出来事でした。

 

まあ大概田舎な場所ですが、国道1号線と7号線が入り混じる近くということもあり、国道沿いだけは割と車通りが多かったです。

 

これは実家の前の田んぼです。

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雪景色。

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幼少期はこんな景色が広がる町で過ごしました。

 

野球を始めたのは小学二年生の頃です。
当時の憧れは松井秀喜選手。
今でも野球人としてだけでなく、人として尊敬している中の一人です。

 

その後、小学五年生の頃には担任の先生からの勧めで学習塾に入りました。

 

中学受験、なんていう選択肢はそもそも知らなかったし、何より自分がやることになるとは思いもよりませんでした。

 

詳しくはこれから書いていきますが、中学、高校とだいたい野球と勉強で過ごしてきました。

 

一つ言えるのは、制服も校則もなく、非常に自由な学生生活を過ごさせてもらったということ。

 

自治自立の精神。
良心教育。

 

母校の創立者は偉大でした。

その精神は、今も根付いているような気がします。

 

何に縛られることもなく。

主体性を尊重してくれる。

自分たちで、自分たちの意向を決める。

そんな学生生活を送りました。

 

「良心を手腕に運用する」

同志社という学び舎に中学生で入ってから、ずっとそう教わってきました。

www.doshisha.ac.jp

 

大学では体育会硬式野球部ながら、学部の成績上位10%に位置していたなど、比較的真面目に過ごしてきた学生時代でした。

 

何者になろうとしていたのか

大学二回生の頃に、人生で最も好きな小説に出会いました。

その瞬間、すごいという感情を超えて、「なりたい」と思うようになったのです。

 

www.amazon.co.jp

 

こういった物語を世に放って、多くの人の心を動かしたい。

 

そう思っていましたが、普通に就活しました。

そして唯一受かった会社へ入社します。

 

小説は、仕事が終わってからや土日に書けば良いだろう、と思っていました。

 

仕事は親の影響で医療関係の業界へと飛び込みます。

一生懸命頑張りました。

新人賞という入社二年目以内の賞を獲りたくて、たくさんの方に協力いただきながらも一つ一つ仕事を覚えていきました。

 

合間の時間は、結局アニメを観たり、ゲームしたり、本を読んだりしていました。

書くことは、あまりしていなかったのです。

 

なんだかんだ休んでいたり、娯楽に走ったり、そうそう上手くはいきません。

 

そうこうしているうちにも日々は過ぎ、仕事も進み、新人賞はありがたいことにいただくことができました。

そうして、3年目から次の目標が決まります。

 

「売上〇〇万円」

そう設定されました。

 

さて、ここが大きな転機の始まりです。

 

仕事は順調でした。

特に不満もなく、いい人にも恵まれて、問題は別段ありませんでした。

 

ただ、日に日になんとも言えない想いが膨らみます。

 

野球をやっていた頃のような、野球も勉強も、バイトも本もアニメも、全部やってた頃の自分のような、燃えている感覚というか、日々やりきっている感覚というか、そういった曖昧な想い。

 

野球に代わるのが仕事になると思って社会人になって、二年が経とうとしていました。

 

物語は書けているだろうか。

書くに相応しい経験をしているだろうか。

仕事では何を目指しているのだろうか。

 

作家になるんじゃなかったのか?

 

僕は何者になろうとしているのだろうか。

 

本当はどうなりたいのだろうか……。

 

その想いを脱する大きなきっかけは、とある出会いでした。

 

本当はどうなりたいのか

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まあ、だいたいのきっかけは出会いだと思いますが、上京してきて一番衝撃的だった出会いを果たします。

 

東京に、中高大の先輩がいました。

その先輩のおかげで、いろんな場に連れて行ってもらいます。

 

基本的に休日は家に引きこもっていた僕を引っ張り出してくれた恩人です。

 

結果的に、僕はたくさんのことを知ることになります。

 

こんな仕事をしている人がいるんだ。

こんな考え方を持っている人がいるんだ。

こんな生き方をしている人がいるんだ。

 

僕にはまだ、こんなにも選択肢に溢れているんだ。

 

世界が広がりました。

知っている世界がいかに矮小なものだったのか、いかに自分の枠外の世界が広がっているのかを体感しました。

 

「本当は、どうなりたいの?」

訊かれて、何も答えられない自分がいました。

 

まずは考えて、知る努力をしました。

 

そして、選びました。

 

こうしようと。

こうなろうと。

 

それから、会社の仕事に加えていろいろなチャレンジを始めます。

 

本を読みました。

人からたくさん学びました。

実践することで体感しました。

 

多くの人と向き合いました。

自分自身ともものすごく向き合いました。

 

少しずつ、様々なプロジェクトに参加し始めました。

できることが増えてきました。

新たな仕事も、たくさん取り組むようになりました。

 

仕事といっても収入が発生するものではありません。

パラレルワーク、という働き方なのですが、おそらく追々書いていきます。

 

あとは、なんの巡り合わせだったのか、2020年10月に電子書籍を出しました。

sutekistore.theshop.jp

 

「作家×パラレルワーク」

 

作家だけでなく、たくさんの仕事や働き方を通して、伝えられることや届けられる想いを増やす。

 

携わる物事は増えてきたので、いよいよ今度は自分の生活を変えるチャレンジです。

 

目下の目標は、カレンダーの色をなくすこと。

 

金曜だから、月曜だから、みたいな本来なかったものに左右される生活から脱する。

つまるところ、脱サラですね。

 

これからもたくさん学んで、実践して、人と出会い、そして多くの同志と共に、変化していければいいなと考えています。

 

このブログでは、こうした僕自身の変化のきっかけや経験、感じている想いなどを記していければと思います。

 

そして、綴るすべてを通して一つの物語となるように。

まるで、僕の人生そのものを一冊の本にするかのように。

 

誰かの心を揺さぶるような物語になるよう、今日一日を地に足つけて生きていきます。

 

新たな発見や知見があったり、様々な想いを感じたりしていただけると嬉しいです。

 

僕という人間の軌跡を。これから切り拓く道を。

他の誰でもない「野田村悠加」という生き方を。

 

人生が大成する準備期間である、今この時期から。

 

紡ぎます。