ここが人生のブルペン

ブルペンとは、野球で投手が投球練習をする場所のこと。人生にも大成するまでの準備期間のような時期があって、まるでブルペンのような場があります。まさに今、僕と同じように何かに挑戦しようとしたり、もがいたり、そんな人たちの小さな心の力づけになる。そんなブログ。

結局やっていることは地味な、地道な、小さな作業だったり

こんにちは、野田村悠加です。

本を書く前に自由になっちゃえばいいじゃん、と思い立っていろいろ学ぶことにした僕でしたが、結果的に先に電子書籍が出ることになりました。

 

順番が違ったような気もしますが、僕が本当に求めている姿は、本を出した自分ではなく、本をいつでも書ける自分、なのです。

あと電子よりは、店頭に並べたい。

 

とはいっても、何もしなくても電子書籍が出たわけではないので、今日はそんな偶然の出来事のお話を。

ほんとに人生、何が起こるかわからんなぁ、と痛感しました。

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最初は「ケータイ小説」から書き始めた

ケータイ小説というのが、僕が中学生の頃から流行り始めました。
ちょうど電車通学の時間をどう使おうか考えていた頃です。

中学二年生の頃から、最初は電車の暇つぶしのつもりで書き始めて、閲覧数が増えることが面白くて継続してしまった、といった別に目的も夢もなかったところからのスタートでした。

 

当時は中二病をこじらしていたのか、超能力とかファンタジーとか、当時読んでいた児童書ファンタジーに影響されて自分で自分の架空の世界を作り込んでいました。

どんな大陸なのか、どこに街があって、どんな都市で、誰がいて、何が起こるのか。

妄想に留まらず、創り出そうとしました。

 

そして高校三年生の頃に完結した作品が、自分の中で最も面白くできたな、という作品でした。

その閲覧数が5万や6万を超えたので、面白さと数字が直結していて「これは面白いかもしれない」と思った最初の出来事でした。

 

さてここから加速するのかと思いきやそうではなく、書いてもこの頃の作品を越えられない、みたいな感覚が続きます。
自分史上最高傑作は、それから4年間生まれませんでした。

自身最高傑作をいかに更新できるか

先の記事にも記載しましたが、大学二年生で出会った一冊の本をきっかけに、面白いだけじゃなくてこれを届けられる人になろうと思うようになりました。

結果、ケータイ小説から、出版社の新人賞に投稿を始めます。

 

ただ、そんなにうまくいきません。
書けども書けども、なんだか高校三年生時に完結した作品には及ばず、別に文章が下手になっているわけではないのに、なんとなくその頃の自分の心にハマる物語が展開できていませんでした。

短編にも挑戦してみました。

初心に返って長編ファンタジーもやってみたりしました。

ただ、なんだかしっくりこない。

 

大学の体育会硬式野球部で活動していた頃です。

世の中のどこに、体育会の硬式野球部で本を書こうとしている人がいるのだろう、と思いながら続けていました。我ながらなかなかいない人種だろうなと感じていましてた。

どうにもならない頃に、ふと後輩が試合で頑張っている姿を見て、これだ、と急に感じた瞬間がありました。

 

あの試合は今でも覚えています。

新人戦なのに学生コーチとして手伝いでベンチ入りした、大学四年生の6月の試合。

野球のことを書こう。

結末も、展開も、プロットなんかも何もなく書き始めた物語。

 

最終的に体裁はいろいろ整えたりしたけれど、無事卒業する頃には完結しました。

 

それが、昨年2020年10月に電子書籍化に至った作品『小夏のブルペン』なのです。

sutekistore.theshop.jp

結局運とか縁とかそういう先にあるけれど

2020年の3月末、小説家中村航さんが小説投稿サイト「ステキブンゲイ」を立ち上げられました。

sutekibungei.com

 

ライトノベルではなく一般小説に特化したサイトにする、というコンセプトに惹かれて、ひとまず応援で投稿しようと思い立ちました。

ただ、社会人も6年目。学ぶと決めてチャレンジもし始めていましたので、なかなか今新作を創り出すということには取り組んでいない。

 

ということで、過去作をコピペすることにしました。

どうせコピーして貼り付けるなら、自分史上最高傑作を。

ということで、今の感性で簡単にリライトしつつ、当時創った『小夏のブルペン』を少しだけ改良して投稿し始めました。

 

そこがきっかけだったのです。
まさか、電子書籍化の依頼が来るなんて。

思いもよりませんでした。ただ、継続してよかったな、とは思うのです。

 

大事なのは、何でも一緒なのかもしれません。

結局、その時の運とか、めぐり合わせの縁とか、再現しようのないことも正直あります。

 

ただ、土俵に立つことは実行しました。
投稿サイトに投稿する、ということをしなければこの話はそもそもありません。
まずチャレンジすること。これは当たり前のようですが、全ての物事が動き出す大前提。

そして、継続すること。
続けて初めて手にすることばかりなのですから。
途中で辞めたら、何にもなりませんよね。

 

運とか縁とかそういう先に結果はあるように見えるけれど、特別なことはなくて、結局やっていることは地味な、地道な、小さな作業だったりします。

 

全てに一貫していますよね。
僕も電子書籍だけでなく、経営、生き方、あらゆることに反映させていきます。

矢内綾乃さんの“経営者”という生き方を知った日

こんにちは、野田村悠加です。

人生どこへ進めば良いのか暗中模索だった僕に、一筋の光が見えてきたお話です。

 

学生の頃の先輩のご縁で、たくさんの方につないでいただきます。

いろんなお話をさせていただきました。

僕の経験や思いや意見、考えて、話しました。

 

話すと人それぞれいろんな回答がきます。

生きてきた人生が違うのだから、当たり前です。

 

さて、そんな中でも特に影響を受けた方がいます。

人生の選択肢が、ぱっと広がったように感じました。

それは僕の持つ夢のような目標のような、使命のようなものにもつながっているな、と当時思いました。

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経営者・矢内綾乃さんとの出会い

経営、というのは全くの無知でした。

経営したいと思ったことも一度もありません。

 

所詮は別世界の人たちの話、と思ってました。

ただそれは、シンプルに出会ったことがなかったからです。

願望は知識といいます。

知れば、広がるのです。

 

僕は経営について知ったというより、一人の経営者の方との出会いを通じてその価値観や考え方、生き方を知りました。

 

矢内綾乃さんという方です。

yanaiayano.com

 

二児の母でありながら、小売業、飲食店、スポーツ事業、人材育成なと様々な事業を立ち上げ経営されています。

旅行も大好きな方で、なんと「宇宙に行ったよ」と成層圏の映像を見させていただいたこともあります。

 

他にもnoteでそのご経験や考え方を記されていて、僕も定期的に読ませていただいています。

note.com

 

先輩を通じて初めてお会いさせていただいたとき、本を書きたいという夢はあるけれど、という話をさせていただきました。

すると、じっくり話を聴かれていた後、はっきりとこうおっしゃいました。

 

「努力することは大事だけれど、努力の方向性はもっと大事だよ」

 

どういうことかと思いました。

日々、一生懸命頑張っている。

仕事も必死にやっているし、たまーに本も書いている。

 

努力の方向性。

元々は僕と同じ会社員のところから大変化されてきた方です。

短い時間でしたが、いろんなお話を伺いました。

 

努力の方向性という視点

矢内さんは、僕と同じ会社員のところから大激変させてきたとお話いただきました。

 

同じように、何かしら変化させていければいいなと素直に思いました。

僕自身に当てはめると、本を書くにしても、いろんな経験ができる状態と、時間にも、お金にも余裕がある状態をつくってから、書きたいことを書く。

そんな人生は、きっと幸せだろうなと、素直に思いました。

 

経験したことしか書けないと思っています。

その経験が、仕事や、自分でできる範囲の世界よりもずっと広いところまで行き着けるのなら。

チャレンジしない手はないなと思いました。

 

成功につながる道は世の中多く存在します。

ただ時間を得たいのか、お金を得たいのか、そりゃもちろんそうですが、それらを得た先にも結局人生は続きます。

 

頑張ることを大切にしていましたが、その行く先はどこなんでしょう。何者に辿り着くのでしょう。

努力の先に待っているもの、待っている未来をリアルに想像したとき。

努力することに加え、その方向性という視点も大切にした方がいいのかもしれません。

 

そう気づいた僕は、この道で行くぞ、という思いを固めます。

こういう働き方、生き方をするぞ、と。

 

偶然の人のつながりやご縁の先に、今後の仕事や生き方が見つかるのは面白いなと感じました。

 

成功を英語で「succeed」といいます。

「継ぐ」や「受け継ぐ」といった意味もあります。

成功は、きっとこうした人のご縁で受け継がれていくのかもしれませんね。

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価値観考え方、そして生き方

僕が人生で考えたこともないことを時折おっしゃっていて、やっぱり僕とは住む世界が違う人だなと感じていました。

 

ただ、価値観や考え方の違いがあるからこそ、そこを変えてきたともおっしゃっていました。

 

願望は磨いて広げるものだということ。

仲間と共に成長し、人の可能性を信じきること。

何をやるか以上に、誰とやるかが大切なこと。

自分のこだわりを手放して素直に学ぶこと。

欲しいものに対して健全な負荷をかけること。

全ての出来事は自分が元で起こっていること。

長期的に人生を捉えること。

 

働き方を探っていたら、生き方が見つかりました。

面白いかもしれないな、と思う生き方をしている人を実際に見て、本や聞いた話が一気に現実味を帯びてきました。

 

努力は大事。

でも、努力の方向性はもっと大事。

 

そこから僕の学びが始まりました。

どこへつながっているかの確信は正直なかったけれど、ただ今を変える一歩を踏み出したのは間違いありませんでした。

 

本を書く、だけでない世界を、生き方を、人間を目指そうと決めた日のことは、今でも鮮明に覚えています。

今手放したら次はいつこういった方々に出会えるか分からないので、僕にとって大きな一つのチャレンジでした。

 

今も思い返します。

あの頃のようなチャレンジを、今も毎日しているだろうか。

自戒ですね。

初心忘るべからずで、日々精進と挑戦を続けます。

本を出したら人生終わりではなかった

こんにちは、野田村悠加です。

本を出したら人生終わり。

なんてことはないですよね。

 

何を当たり前なことを、と思いますが、当時はそんな至極当然のことにはっきりと気がつきました。

 

人生で目指していたものや目標としていたものは、些か「やること」に焦点を当てすぎていたのです。

到達点をゴールにしていたのです。

何かになること。何かを達成すること。何かを手に入れること。

 

本を書きたい。

それも立派な夢でした。

僕の人生において、必ず成し遂げることです。

 

ただ、夢はその一つなのかと問われると。

本当にその一つだけで人生が終わってもいいのかと。

本を出したら死ぬのかと。

そんなことはありませんでした。

その先も僕の人生は続きます。

 

むしろ、そこからがスタートなような気もしました。

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人生100年時代と言われて久しいけれど

100歳まで生きるとしたら、あと約70年後です。

2091年の医療技術が、果たして100歳で死なせてくれるのでしょうか。

 

幸い日本という国に生まれた以上、何か不慮の出来事が起こらない限り生き続けます。

その未来を想像したことがありますか?

30歳とか、40歳とか、それぐらいまでしかイメージしていないのではないでしょうか。

僕はそうでした。

40歳どころか、5年後もまともにイメージしていませんでした。

 

老後の方が勤労人生より長いのです。

60歳はどんな生活をして、どれだけ収入を得て、誰と共にいるでしょうか。

どこまで生きるのか、本当に、想像しているでしょうか。

 

このままの自分ではないことだけはわかっていた

とはいっても、そんなに鮮明にイメージできません。

だって今までやってこなかったし。

会社の仕事をどうするか、どうやったら売上が上がるのか、ぐらいしか考えなかったし。

 

どうすればいいのか、正直何もわかりませんでした。

本を書く時間も満足に取れていない。

しかも、この先はより時間がなくなりそうだ。

本を書いたとしても、まだ人生は倍以上続いていく。

 

不満が大きいわけではありませんでした。

会社の人もいい人たちばかりでした。

仕事が面白くないわけではありません。

 

ただ、このままではないような。

この先40年、このままの自分ではないような、それだけはなんとなく感じていました。

 

そう考えていた頃です。

きっかけが訪れます。

今となっては、訪れたのか、引き寄せたのか。

その真実はわかりませんが。

 

すべての変化にはきっかけがある

価値観や考え方、知識には突然変異は存在しないので、すべてにおいて何かしらのきっかけとなることがあります。

人に出会った。本を読んだ。映画で観た。体感した。

 

そんなきっかけのさらにきっかけを紡いでくれたのは、中学生の野球部時代の先輩でした。

一貫校だったので中学高校と一緒の野球部でしたが、大学は一度も会わず、東京で再会したのが僕の社会人二年目の秋。

 

この辺りから、たくさんの人と出会う機会が増え、たくさんの人の歩んできた人生を知り、呼応するように自分の今後の人生を考えることが増えました。

そりゃ、影響受けますよね。

 

考えたことある?と訊かれて、ないと答えた僕の脳内では、考えたほうがいいな、と同時に思いが走っていました。

 

本を書いたら人生終わるわけではない僕に、今どんな道があるのか。どんな選択肢があるのか。

 

当時の僕は、とにかく「変わりたかった」んだと思います。

 

そして、先輩から紡がれたご縁が、僕を変える大きなきっかけを運んでくれます。

中村航さんの本で見つけたのは、夢なのか、目標なのか

こんにちは、野田村悠加です。

本を出したいなとぼんやり思い始めたのは、大学二年生の頃でした。

あまりに衝撃的で、優しくて、大好きな小説。

その一冊の本との出会いから、書くことが趣味や暇つぶしからレベルアップしたのを覚えています。

 

夢のような、目標のような、ある種の使命のような。

 

僕にとって本を出すという未来の確定事項は、今やそんな大仰な立ち位置になっています。

 

同じような想いや感情を世の中に放ちたくなった

児童書ファンタジーから文庫本の小説、営業の本、生き方や考え方の自己啓発、多くの本から感動を与えてきてもらいました。

 

本の向こう側に広がる世界は自分だけのもので、言葉から連想される妄想は自分の脳内だけに存在していて。

まったく自分にはない考え方に感銘を受け、仕事でのチャレンジにつながり。

 

文字を紡ぐだけで、こんなにも人の心を揺さぶれるのか、と感じてきました。

文字が文章になり、表現という武器を携えて物語と化していく。

 

自分で感じた感動が、自分だけのものになるのがもったいない気がして、妄想好きが重なり最初はケータイ小説を書き始めました。

閲覧数が増えるたびに、ああ世界にほんの小さな跡を残している、という感覚を覚えました。

誰が読んだかわからないけれど、読んだ事実は消えない。記憶の端っこにあるかもしれないけれど、そのときその瞬間、僕の紡ぐ文字を目で追っていたことは確実で。

 

それで、自分が感じてきたような感動を覚えてくれたら、面白いだろうなと。

最初はそのような思いだけでした。

きっかけは、何度か書いていますがとある一人の小説家です。

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※初めてもらったサイン。

世界の見方が変わった小説家・中村航さん

『あのとき始まったことのすべて』という作品を読んだとき、世界をこんな風に見ているのか、この人の目には世の中はこう映っているのか、こうやって表現すると目の前にあるように日常を感じ取れるのか、などたくさんの想いが交錯しました。

よかった、感動した、を超えて「なりたい」と思ったきっかけの一冊です。

 

それから中村航さんの本を読み漁ります。

処女作は、『リレキショ』という本でした。

 

理系の大学出身で、エンジニアとして働いていたといいます。

29歳のときに転身して、31歳でデビューされています。

下記はご本人のオフィシャルサイトのプロフィールから抜粋。

2002年『リレキショ』にて第39回文藝賞を受賞しデビュー。続く『夏休み』、『ぐるぐるまわるすべり台』は芥川賞候補となる。ベストセラーとなった『100回泣くこと』ほか、『デビクロくんの恋と魔法』、『トリガール!』等、映像化作品多数。

www.nakamurakou.com

 

また、小説以外にも精力的に活動されています。

アプリゲームがユーザー数全世界2000万人を突破したメディアミックスプロジェクト『BanG Dream!』のストーリー原案・作詞等幅広く手掛けており、若者への影響力も大きい。

bang-dream.com

 

また、2020年3月には小説投稿サイト「ステキブンゲイ」を立ち上げられました。

ちなみに僕の電子書籍は、ここに投稿したことから始まりました。

sutekibungei.com

 

他にも多数プロジェクトを立ち上げては取り組んでいらっしゃって、小説に留まらない活動も注目されている小説家です。

 

独学ですが僕の文章もめちゃくちゃ影響受けています。

本当に好きなんです。その表現と、広がる世界が。

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※二回目のイベントでもらったサイン。

僕にとっては夢なのか、目標なのか

さて、そんな小説の師とも呼べるような中村航さんですが、僕は僕にしか書けないこともあると思っています。

理系でエンジニアのことはわからないけれど、大学まで硬式野球部で活動してきて小説書くぞ、みたいな人間もなかなかいないと思っています。

東京に出てきて、たくさんの人と世界に出会い、人生を変えようと動いているこの経験も僕だけのものです。

 

その想いや経験や可能性を、伝えていきたい。

本を出したいのは、自分だけで完結したくないからです。

 

手に届かない人にも、声が届かない人にも、本だったら届く。

 

大きく人生変えられることができるんだよとか、この世界って思っている以上に面白いことで溢れかえっているんだよとか、そんなきっかけを届けたくて。

 

仕事をしているうちに、より色濃く考えるようになりました。

日々はいつの間にか過ぎて、気づけば次の季節が来ている。

 

本を書くことは、夢なのだろうか。目標、なのだろうか。

 

そう考えていた頃に、新しい道が僕の目の前に現れました。

あと、夢とかそういった考え方や捉え方も、僕の中で変化を迎えます。

道なき道を進むこと、道を拓くこと、創り出すこと

こんにちは、野田村悠加です。

上京してきた僕は作家になるぞというほどの気概もなく、ミュージシャンや芸能界を目指すわけでもなく、普通に仕事を始めます。

 

今日はそんな「仕事」についてのお話。

職業って世の中数えきれないほどあるけれど、大切なのは「仕事観」の方じゃないかなぁって感じてきた、そんな僕の想いです。

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「仕事を頑張る」日々を過ごす

医療ITの分野になるのでしょうか、毎回業界をなんと言ったらいいのかすごく悩むような世界に飛び込み、仕事を頑張り始めます。

 

医者の使う言葉と、ITやネットワークについての知識など、初めは訳の分からない言葉が飛び交い、一年目はまるで外国語を聞いていたような気分で先輩と同行していました。

覚えることで精一杯。

そんな一年目で、とにかくできることあれば全部やります、という感じでした。

 

この頃にやっていたのは「自発的な行動」ですね。

 

決まっていることに対して自分から動く。

大局や流れに乗っかって、言われたこと以外のことをやっていく。

 

それを頑張っていました。

それが仕事だと思っていました。

できることが増えていく。自分一人でも完結できることが増えていく。

それが自分の仕事だと、思っていました。

 

別に、それが間違っているわけではないけれど。

 

仕事という価値観が変わってくる

仕事というと、どういうイメージでしょう?

やらされるもの?面白くないもの?スキルを身につけられるもの?

 

仕事にも価値観があると思っています。

その概念も様々だと思っています。

 

決まったことをやる、大きな流れに乗る。

そういった会社という組織の中の仕事から、3年目になって、いろいろ環境が変わって、知ることも知って、行動し始めると感覚が変わってきました。

 

仕事は喜び。

仕事のご褒美は仕事。

キャパを広げたければキャパオーバーになる。

仕事がいっぱいでもう無理!となったら、仕事をもう一つ増やす

 

初めて聞いたときは訳がわかりませんでした。

そりゃそうです。そんな風に思って仕事をしている人なんて、周りに全然いませんでした。

 

ただ、やってみたら少しずつ変わってきました。

お金のための仕事から、自分の将来や、未来や、なりたい姿に直結する、そんな仕事を捉え始めるようになってきて、数年かかりましたが、いよいよ変わってきました。

 

それは本当にシンプルに、自発性と主体性、という仕事に対する捉え方です。

 

僕の中での仕事とはどういうモノでありたいか

言葉ではよく聞くと思います。

自発性。

主体性。

どちらも自分から動き出すという意味ですね。

 

僕は仕事を主体的に捉えて進めたいと考えています。

流れがあったり、決まっていたりいうのはもちろんですが、本当にやりたいのは、道なき道を進むこと。

道を拓くこと。

新たに創り出すことです。

 

どちらがすごいとかいう話ではないですが、ルーティンのような仕事だけでなく、やっぱり創り出す世界が面白いなぁと。

 

わからなければ、調べる。聞く。

知らなければ、やってみる。

考える。検証する。前進させる。

 

僕もわからないです。前線突っ走ってても、よくわからないことはたくさんあります。

うまくいく保証なんてものはなく、うまくいかせるという信念があるだけで。

うまくいくからやる、では遅いし、古い。

 

0から1を生み出しているんだということを、本当に理解した上で。

掴み取るのではなく、創り出す。

何にもないので、やる。

 

そうやってみんなで創っていければいいなと思うわけです。

 

一生道半ばなのですから。

共に創りましょうよ、って。

 

できあがった仕組みの中に飛び込んでいるようで、常にどうなるかわからない世界を追いかけて、世の中に置いていかれないように、一歩でも先に踏み出せるように、同じラインで頑張っているのです。

 

未来につながっているという保証はない。

つなげるという確信はある。

 

それで仕事は少しでも主体的に取り組めるのではないでしょうか。

 

楽をしたいわけじゃないんです。

思いっきり動き回って、うまくいったり、いかなかったりして、キャパ越えて仕事創り出して、そんな感じで生きていきたい。

自由に。

ときには飲みながら、でもいいんです。

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その同志と、僕ができることを、拡張させる。

 

あなたの想像を超える世界を、僕は共に創りたいのです。

 

未来は明るい!

面積よりも遥かに大きな街に来てしまったと感じた大都市「東京」

こんにちは、野田村悠加です。

いろんなルーツを養ってきた学生時代でしたが、社会人になっていよいよ故郷の滋賀を飛び出します。

 

なんとしても滋賀からは出る。

それだけを決めて就活をしていました。

結果、名古屋本社の会社に入って、研修後の配属先が東京。

 

名古屋と東京、どっちがいい?」

 

一応尋ねられました。

僕は「どっちでもいいです」と返答しました。

そうしたら東京になりました。

 

これが、今思うと本当に幸運なことだったのです。

 

上京は田舎にとったら結構大々的なこと

親族は全員滋賀にいたので、そもそも県を出る人が僕が初でした。

しかも東京。上京ですよ。

そりゃもう、「あの家の長男の子は東京で働いている」ってそれだけで箔が付くような。

 

田舎はそんな感じです。

 

小さい頃の旅行ぐらいで、実際初めてのようかものでした。

品川駅に降り立ったときの驚きは今でも覚えてます。

 

琵琶湖花火大会ぐらいしか、滋賀ではこんなにたくさんの人の姿を見ることはないのです。

 

滋賀の人口の、約10倍。

その人数が、滋賀の面積の6分の1である琵琶湖より小さな東京23区に詰まっている。

 

どこに行っても、人は多いし建物は高いし、綺麗だし広いし。

電車の時刻表がいらないのは衝撃的でした。

 

どうやら、面積以上に広い土地へ来てしまったようでした。

 

※最初はこんな景色の見える近くに住んでいました。


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これほどの人が集まれば、そりゃ文化は形成されるよなと

東京で一番面白かったのは、駅ごとに文化が形成されているところでした。

 

山手線は新橋が職場に近かったのですが、そこから有楽町、東京、神田、秋葉原御徒町、上野……。

渋谷側も、恵比寿、目黒、五反田、大崎、新宿方面だと原宿、代々木、新宿、新大久保、高田馬場……。

 

一駅ごとに、こんなにもカラフルで、まるで別の県かのような違いがあるのは面白いなと感じていました。

 

滋賀はというと、草津南草津がちょっと大きいぐらいで、あとはだいたい平和堂と国道が近くにある感じで、文化が違うなと感じるほどの違いはありません。

 

ただ、休みの日にあちこち一人で出かけていると、どこから湧いて出てるんだという人の波を見て勝手に腑に落ちます。

 

これだけの人が一極集中で集まれば、そりゃ文化の一つぐらい形成されそうだと。

 

こんなにも多種多様な人が驚くほどたくさんいて、山手線どころじゃない幅広い文化が、それぞれの土地に根付いているんだろうなということがわかりました。

 

これは東京が世界からも一目置かれている都市なのがよくわかりました。

名古屋とも、大阪とも全然違います。

 

優劣の問題ではなく、単なる人口の差です。

大阪の延長みたいな感じなのかなと滋賀県民の視点から思っていましたが、本当に全く違います。

 

東京があまりにも圧倒的すぎるのです。

 

これほどのダイバーシティを受け入れられる街は、日本ではおそらく東京以外にはないでしょう。

 

そこで初めて、若いうちに東京に来られてよかったな、と感じ始めるようになってきました。

 

滋賀から出てきてよかったこと

この東京という街を20代前半から体感できたことは非常に貴重な機会だったなと思います。

こんなにも広大な東京という街を体感して、いろんな景色を見て、街並みを感じ、文化や技術に触れ、そしてたくさんの人と出逢いました。

 

偶然の出会いから、久々の出会いまで、形は違えど様々な人との出会いを経験してきました。

 

上京して一番よかったのは「人」なのかもしれません。

 

東京はいろんな人がいるから気をつけてね。

という上京時の常套句を親からいただき、やってきました。

確かにいろんな人がいると思います。

 

ただ僕は、非常に恵まれていたのか、今までの知り合いも、新しくできたつながりも、とてもかけがえがなく大切な人たちばかりです。

 

初めましてでも、別にその場で取って食われるわけじゃないんだから、と何度か経験しているうちにそういう気持ちで臨めるようになってきました。

 

いろんな仕事の話が聞けることが面白かったです。

いろんな過去を持っている人たちと話すことが楽しかったです。

それは会社の仕事とか、引きこもってゲームやアニメとか、それまでの僕の生活では起こり得なかったイベントでした。

 

そして、新しい生き方を学びました。

価値観や考え方がこんなにも違う世界があるんだと痛感し、望み、飛び込み、荒波に揉まれながらも変化していく、そんなきっかけをいただきました。

きっかけについてはまた追々。

まるで小説のような人間ドラマが広がっています。

 

さて、そうして僕は東京という街に染まっていきます。

これからもまだまだ、世界の広大さに驚き続けるでしょう。

だからこそ、まだ今のところは、僕はこの街でたくさんチャレンジし続けることにしています。

 

僕という人間がダイバーシティのほんの一部となって、新たな世界を広げていきます。

僕の表現はサブカルチャーのあれこれが混ざり合ったもの

こんにちは、野田村悠加です。

僕のルーツの話ばかりでしたが、本、野球、ときて最後はとてもポップなもの。

 

サブカルチャーです。

 

範囲の広い言葉ですが、主にゲーム、アニメ、漫画などエンタメのコンテンツを指すことが多いです。

 

ゲームは小学校に入る前からやってましたし、アニメもよく親に見せてもらっていました。

漫画は言わずもがな名探偵コナンから始まり、結構いろんな作品を読んできました。

 

そういった、現実世界以外に広がる世界が大好きでした。

本以外にも、こんなにも広大で計り知れない。

 

ワクワクしますよね。

一つ一つ、大切に向き合ってきました。

サブカルチャーとは思えないほどの、真剣さ。

 

名探偵コナンだけじゃないんですよ

コナンしか知らないと思われがちですが、そんなことはありません。

昔から漫画は好きでした。

今ではWebマンガもめっちゃ読んでます。

 

『怪獣8号』『プロミスシンデレラ』『SPY×FAMILY』『ダンダダン』『よふかしのうた』『ドラフトキング』などなど、週間でやたら読んでます。

完結済みですが『サマータイムレンダ』はほんとに面白かった。

 

また、僕が単行本として全巻持っているシリーズはそんなにたくさんはありませんが、主な作品は以下の感じです。

 

探偵学園Q

 

四月は君の嘘

 

『ひとりぼっちの地球侵略』

 

その他にも、『さよなら私のクラマー』『BLEACH』『スローモーションをもう一度』など途中までですが持ってます。

 

『MAJOR』と『鋼の錬金術師』は友達に借りて全巻読みました。

 

京都にいた頃は、京都国際マンガミュージアムにも足を運びました。ここは天国のような場所でしたね。

京都国際マンガミュージアム

 

かじったぐらいの作品はまだたくさんありますが、次から次へと出る漫画の波を少しずつ少しずつ、追いかけています。

 

家に漫画部屋、みたいなのが作れたら面白そうだなぁ。

 

幼い頃から任天堂信者

続いてゲームですが、随分と幼い頃から触れていました。

 

最初に触れたのはスーパーファミコンです。

スーパーマリオワールドというとんでもない名作から始めました。

スーパーマリオワールド

 

その後ゲームボーイというポータブル機が現れます。

ポケモンの初代である赤から始めました。

妹はピカチュウ版でした。

その後、僕は「赤→銀→サファイアと続きます。

妹はピカチュウ→クリスタル→ルビー」でした。

 

据え置き機もよく遊びました。

Nintendo64スマブラは何なら今でもやります。

ゲームキューブスーパーマリオサンシャインが一番の名作だと思ってます。

Nintendo Switchでリメイク版が出てますね。

スーパーマリオ 3Dコレクション:スーパーマリオサンシャイン | Nintendo Switch | 任天堂

 

人生で最も面白かったゲームは、Wiiゼノブレイドです。

これもSwitchでリメイク版が出てます。

めちゃくちゃハマりました。

 

Nintendo Switchも持っているので、自由に時間が使えるようになったら遊び倒してやろうと考えてます。

 

ゼルダの伝説シリーズも好きでしたね。

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ゲームを通して、いろんな感情を覚えたり、画面の向こうに広がるもう一つの世界の光景を見たり、そういったある意味仮想空間に没入するのが、とても好きだったのです。

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アニメはインスピレーションの基になることが多かった

高校二年生の終わり頃に、『とある科学の超電磁砲』というアニメを観たところから、僕の深夜アニメは始まります。

 

ちょうど『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない』『花咲くいろは』『アイドルマスター』など有名どころが放送されていた2011年頃から、毎クール観たいのを全部の中から抜粋して、結構観てました。

 

非常に、小説に対するインスピレーションとなりました。

特に京都アニメーションの作品。

最も好きなアニメは『氷菓』です。

www.kyotoanimation.co.jp

 

『響け!ユーフォニアム』もすっごく好き。

anime-eupho.com

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これは最終回の先行上映回に当選した時の写真。

 

物語がすごいだけじゃなく、演出とか、表現とか、作品として観るとたくさんの楽しみ方が見つかる。

 

こう言うんだ、こう表しているんだ、こう魅せるんだ、といつも感銘を受けながら、素晴らしい作品に浸っていました。

たまには頭空っぽで観られるようなアニメも観ていました。

 

とにかく、こうした作品の数々は、僕に大小様々な影響を及ぼしています。

僕の表現は小説と、あとはこれらサブカルチャーのあれこれが混ざり合ったものと言えるでしょう。

 

これからも、こうした物語や作品に埋もれながら生きていきます。

そして、いずれ自分で心を揺さぶる作品を創り上げるのです。

 

乞うご期待。